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逆井城の概要・歴史



  逆井城は今から400年以上前の戦国時代末期(1577年)に後北条氏の北関東進出拠点として築城されました。1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原城の後北条氏を滅ぼしたため、逆井城も廃城になりましたが、現在もその外堀と土塁が残っています。調査によって、櫓(やぐら)門、橋、塀、主殿、二層櫓などが復元され、戦国時代にタイムスリップできる公園になっています。また、園内には四季折々の花が咲き、広々とした風景の中、ゆったりと散策を楽しむことができます。



【画像をクリックすると拡大します】


◎逆井城跡公園の概要

 逆井城跡公園は全体面積が約63,000屬如△Δ腺横,245屬県指定史跡の区域(昭和60年3月指定)となっています。また、全域が緑地環境保全区域(昭和63年9月指定)に指定されています。旧逆井城の全体像は、東西420m、南北300mの126,000屬任后E豕ドーム(46,755屐砲裡.7倍です。

◎逆井城の歴史

 逆井城はもともと逆井氏が治めていたといわれています。逆井(さかさい)常繁(つねしげ)公の代、天文(てんぶん)5年(1536)3月3日、小田原を本拠地とする後北条氏の軍勢に攻められ、以後、天正18年(1590)に後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまで、同氏の北関東進出の拠点となっていた、といわれています。
 この地は常陸佐竹氏・結城氏・多賀谷氏との領国の境目にあたり、すぐ北側にある自然の要害である「飯沼」に囲まれ堅牢を誇っていたと思われます。なお、天正5年(1577)には、大鋸引を藤沢(神奈川県)より呼び寄せた、との記録もあります。(参考:猿島町史・通史編)

◎現在の逆井城跡公園の現状

 当時の土塁・堀の一部が、手つかずの状態で現在まで保存されています。また、現在は歴史公園としての整備を重ね、戦国時代末期の建築群を再現し、当時の面影を感じることのできる公園として、多くの人に親しまれています。

◎建物の概要について

【二層櫓】【主殿】【井楼矢倉】64.3965.677.45

   この二層櫓は、戦国時代末期の城郭建築の歴史考証を基に、外観二層の容姿をもつ戦国期櫓を復元したものです。近世の隅(すみ)櫓(やぐら)とは違い、時代を感じさせる櫓で、6m四方の平面をもち、入母屋の望楼に下見板張り等の外壁によって当時の景観を再現しています。

【関宿城薬医門】

   関宿城の城門と言い伝えられるこの門は、本柱が門の中心線上からずれており、薬医門と呼ばれるものです。
   関宿城は久世氏が城主を努めていましたが、明治2年の廃藩置県により久世氏は関宿知藩事となり、城も明治6年廃城となりました。
   その後、建物の一部は民間に払い下げられ、残りの部分は取り壊されてしまいました。このときに払い下げられたものの一つがこの城門と伝えられ、旧猿島町内の鶴見栄(えい)助(じょ)氏宅にあったものを移築しています。

【主殿】

   この主殿は、茨城県潮来市(旧牛堀町)で発掘調査された大台城跡発掘の際に出土した主殿遺構を参考に建築されたもので、逆井城と同時代に存在していたものです。
   構成は正面から見て右側半分が主室で、左側半分がその控室的な部屋となっています。主室の三間に三間の部屋構成は「九間の間」と言われるもので、室町時代中期の主殿建築の特徴的なものです。前面には枯山水庭園が広がっています。

【井楼矢倉】

   井楼矢倉は米を蒸す蒸篭と同じように、井形に組んだ方形材(ほうけいざい)を次々と組み上げた矢倉です。このような矢倉が作られるのは次のような軍事目的のためです。
   (見櫓として敵の動勢を監視する。
   ¬Jの軍の動勢を把握する。
   このような矢倉の役割が発展・大規模化したものが近世城郭の天守閣で、城主の威厳を誇示した政治的役割が加味されています。
   この井楼矢倉は戦国時代末期のものを、資料を基に復元したものです。

【観音堂】

   この観音堂は大安寺(旧岩井市)にあったものを町が譲り受け、移築・復元したものです。
   建物解体時に、天正16年(1588)建立時の棟札と弘化2年(1845)再興時の棟札が発見され現存しています。これにより、天正16年の上棟後、幕末に改造の手が加えられたことが判明しました。しかし、木柄の大きな角柱の面取り、舟(ふな)肘(ひじ)木(き)などはいずれも天正期特有の様式をよく残していますので、非常に貴重な建築物として市指定文化財となっています。
   堂内は板敷きで、天井は棹(さお)縁(ぶち)天井(てんじょう)となっています。

【鐘掘り池】

   天文5年(1536)3月3日、ときの逆井城主逆井常繁は、北条氏康の家臣であった大道寺駿河守(?)の城攻めに敗れ戦死しました。この時、城主の奥方(又は娘)は先祖代々伝わる釣鐘をかぶってこの池に飛び込み自殺したと言われています。この釣鐘を探そうと何人もの人が池を掘ったため「鐘掘り池」とか「鐘掘り井戸」と呼ばれています。
   この池はどんな旱(ひでり)でも水が涸れたことがないと言われるほど、湧水が豊かです。城の生活水を賄うために掘られたのではないかと考えられています。

【櫓門と橋】

   この櫓門と橋は逆井城跡の発掘調査の成果を元に復元されています。橋の遺構は礎石・男柱・支柱の穴が見つかっています。また、櫓門の遺構としては、東西に3個ずつ2列で方形に結べる柱穴と雨後(うご)溝(みぞ)が見つかっています。
   復元に当たっては遺構保存のため、旧柱位置よりも西へ1m、北へ50僂困蕕気譴討い泙后なお形については、資料を基に戦国時代末期の姿を想定しています。

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