
24.「前太平記文巻川合戦」

作品名:『前太平記文巻川合戦』
絵 師: 勝川春亭(1770〜1820)
掲画は,読本『前太平記』と『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の叙す将門最後の決戦を素材にして描いた錦絵版画である。絵師の春亭は,勝川春英の門人で,武者絵を得意としたが,草双紙・読本の挿絵など幅広く作画した。なかでも『歌舞伎年代記』や馬琴の読本『昔語質屋庫(むかしがたりしちやのくら)』の挿絵は,明るく飄逸(ひょういつ)な作風を示し,動きの中の一瞬の美を捉えて見事である。
『将門記』によると,この乱は,承平5年に平氏一族の間に始まった争いが拡大し,私闘から国家への反乱に発展したものである。東国8カ国を支配下に収めた将門は,東国の独立宣言を行い,新皇政府を成立させた。
その事実に対した朝廷は,征討軍の東国進発とは別に,在地の諸豪族に乱鎮定の功を募り,もし魁帥(かいすい)を斬(き)れば朱紫(しゅし:高貴)の品と,田地の賞を与え,次将を斬った者には,官位を賜うべきことを公示した。権力を利用して出世しようとする武士たちに恩賞をえさにして将門討滅を行わせようと謀(はか)った。敵対した貞盛も秀郷もこれに応じたものである。
宿敵の貞盛とその一党の探索に取りかかったが,彼らを見出せないままに日が経ち,農兵的な性格をもった兵隊を帰休させねばならなくなった将門は,その許可を出す。そのことを知った貞盛らは,その油断を巧みに衝(つ)いて将門の本営を襲うことになる。
決戦の場所は,石井(岩井)の北山とある。未申(ひつじさる)の刻(午後3時頃),兵力,装備ともに圧倒的に優勢な貞盛と秀郷の軍勢が,折から烈風の吹き荒れる中を押しよせ,戦いは壮絶をきわめた。
始め,追い風を背に受けて有利な立場に立った将門軍は,優勢に戦いを進め,敵の主力を敗走させて本陣に引き返す途中,究然に風向きが変わって形勢が逆転した。その時,風のように駿足を飛ばしていた将門の愛馬の歩みが乱れ,武勇を振るった将門の気力が尽き,棒立ちになったその刹那(せつな),飛来した1本の鏑矢(かぶらや)が将門を無慚(むざん)に刺し貫いた。
将門の最期を『将門記』は,このように描いている。
将門討死の場面を『扶桑略記』は,神鏑(しんてき)によるとせず,貞盛が射放った矢によって落馬したといい,秀郷が駆けつけて頸(くび)をとり,これを士卒たちに与えたと記している。
原寸36.7cm×25.0cm (3枚とも)
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