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17.「田原藤太秀郷」


作品名:『田原藤太秀郷』 
絵師:歌川国貞(初代 1786〜1864)

国貞の錦絵の初筆は,文化5年(1808)23歳といわれる。初めの頃は,歴史や読本で知られた武将や豪傑たちの勇壮な場面,合戦の光景など武者絵を描いていた。新しい時代の美人画・役者絵を描いて人気絵師となると武者絵から離れるが,掲画はその初期の作品である。題名の田原藤太とは,俵藤太とも俗称した藤原秀郷のことである。
下野国(現栃木県)の土豪で田沼地方に本拠を構えていた。下野67郷のうち27郷を勢力圏としていたが,平将門の乱が起こると下野掾(しもつけのじょう)・押領使(おうりょうし)として下総に出陣した。石井の北山で将門を討った功により従四位下,下野守などに任じられ,討伐軍の源経基や平貞盛らとともに軍事貴族として中央に進み,子孫に栄達の道をひらいた。
最後の決戦のとき,将門は秀郷の放った矢に射落とされたという。彼が射術に勝れていたことは,後の九代の孫になる歌人の西行法師が,源頼朝に召されて,祖先の射法について諮問されたことや,弓の流儀に秀郷流のあることからも窺える。弓術によって超人将門を倒した勇士として英雄視され,さまざまな伝説が作り出されている。
たとえば「吾妻鏡」には,将門が反乱を企てたとき,秀郷が偽って門客になりたいと申し入れたところ,将門は喜悦のあまり梳(くしけず)るところの髪を束ねず出て対面したので,その軽率さを見抜いたというエピソードを伝えている。室町時代になると御伽草子(おとぎぞうし)の主人公として『俵藤太物語』などに登場してめざましい活躍を見せるが,世上有名なのは,瀬田橋上の大蛇の語りである。
ある日,瀬田橋の上に横たわる大蛇を憶せず,またいで通ったところ,その大蛇に化身していた竜神の翁に武勇を見込まれ,三上山に巣くう大百足を退治することを懇望される。秀郷は,これを承知して,橋のたもとに待つうちに三上山の百足が現れた。強弓で百足の額をねらって射込むと,さすがの百足も耐えられず,半身を湖水に浸して死んだ。老翁は謝礼として黄金の太刀と鎧を秀郷に与え,これによって朝敵を追討すれば将軍になれると告げる。その予言どおり,秀郷は竜神の助けによって,将門の秘密を見破ることができ,首尾よくこれを討ちとったというのが『俵藤太物語』のあらすじである。
掲画は,大百足を退治する場面である。秀郷が弓の本弭(もとはず)で百足(むかで)の額を押さえつけ,右足で背を踏みつけた勇姿には,弓術を誉れとする武将の覇気がみなぎっている。

浦島の女房を藤太 しって居る (浦島の女房とは乙姫のこと)
原寸37.1cm×25.4cm
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