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16.「平親王将門」


作品名:『平親王将門』 
絵師:歌川国貞 (1786〜1864)

歴史上で,平将門の実像があきらかになるのは,承平元年(931)からである。この年に,叔父の良兼と〈女論〉によって争ったという記録があるが,その内容は定かでない。
『将門記』によると,平家一族に内部紛争が起こり同5年には,これが拡大して私闘から始まった争乱が国家への反乱に発展した。関東八カ国を支配下に収めた将門は,自ら親皇(天皇)となって,当時の国家権力とは異なる権威創出の行動に出,独立国を打ち立てた。しかし,官軍ともいうべき権威を背負った追討軍のまえに破れたのは,天慶3年2月14日であった。この間わずかに9年である。
将門の人物像については,天皇を自称した非道の人物,新しい武士の時代を創り出すための英雄的行動を示した人物,との両極端な評価に分けられるが,その内実は,王朝政権に対する最大のレジスタンスであった。無位無官の在野的な将門が農民を率いて,農民を苦しめる王朝政権への抵抗であったと思われる。
将門の非業の最期から生じた怨霊譚や民衆の人気を裏返してみると,権力者たちの苛政に対する民衆自身の反感であり,その反感が同情を共有してこれを祭るということになった。弱きを扶け,強きをくじく気性の将門を英雄とみなした江戸庶民と同じく,江戸気質を愛した絵師国貞は好んで将門の勇壮な武者絵を描いている。掲画もその中の一枚である。
国貞は,江戸本所で渡船場を営む家に生まれ,16歳の頃に初代豊国に入門した。文化4年(1807)に浮世絵師としてデビューし,新しい時代の美人画と役者絵に新境地をひらいたことで人気絵師となった。雅号を五渡亭から香蝶楼を用いるようになるのは,生家から独立して亀戸天満宮前に住居を移し,英一蝶(はなぶさいっちょう)の門に入った天保初期といわれ,従って掲画はこの期の作画である。
掲画をみると,将門の最後の合戦となった北山決戦の場面に七人将門という分身伝説を加えた構図である。
関東に独立国家を打ち立てたものの,まだ王城も築かぬうちに秀郷と貞盛らが攻め寄せてきた。将門は自ら甲冑に身をかためて駿馬に乗って陣頭に立ち,襲いかかる敵を迎え撃つ。勇猛果敢な勇姿とその背後に影武者を描くことにより,ダイナミックな生涯の死生をかけた武人像を表現している。
「−天下に未だかつて,将軍たる者がみずから陣頭に立って戦い,みずから討死をとげるというためしはない−」
『将門記』の作者によって,最も溌剌(はつらつ)かつ壮大な人間として描かれた将門は,源為朝に代表される武士像の原型であろう。
原寸37.1cm×25.6cm
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